48年目の誕生日

 

 

先日慌ただしい中で、

48歳となる誕生日を迎えた。

毎年の如く5月1日が近づくにつれ、

「ああ、心地良い季節になってきたな。」

との実感と共に誕生日の訪れを予感する。

 

一昨年の誕生日は東日本大震災の直後であり、

とても誕生日を祝う気分ではなかった。

昨年の誕生日は父が他界した直後であり、

且つレコーディングの最中だったので、

これまた誕生日を祝う気分も機会もなかった。

今年の誕生日もテレビ番組の公開収録があり、

珍しくも出演者としてステージに立っていた。

誕生日は毎年、

自分がこの世に生を受けた日として、

母と共に過ごし、

感謝の念を伝えるよう心掛けているが、

今年は母も体調を崩し自宅で臥せっていた為、

仕事終わりに合流し、

ゆっくりと過ごすと言う訳にもいかず、

何事もない平穏な誕生日となった。

思うに、

2年前から自然な流れとして、

誕生日に何かしらのイベントフルな時間を

求めたり期待しているわけではないのだが、

それでも多忙を極める日常の中で、

誕生日のような機会でしか

再会を果たせない友人らがいることもあり、

ついつい誕生日の折に、

パーティーなどで旧交を温めたいとの想いが

脳裏を掠めることもある。

 

しかしながら、

今年の誕生日を迎えるにあたっては、

素晴らしいギフトを得ることも叶った。

 

昨年より今春にかけて、

発起人として関わった

音楽プロジェクト「魂の歌」の

立ち上げや実施に伴い、

数え切れない方々からの

多大なる善意、誠意、そして熱意を賜わってきた。

そのひとときは、

生涯を通じて心の財産となり宝となる事だろう。

これこそが、

かけがえのない誕生日プレゼントであったと、

五月晴れの心地よい風に包まれながら、

一人その至福を噛み締めている。

 

「母さん、ありがとう。」

 

48年目の岩代太郎と岩代太郎作品も

引き続き宜しくお願いします。

 

付記 

50年目の誕生日くらいは、

懐かしい顔に囲まれながら過ごそうかな。

魂が紡ぐ時間

 

 

あの日から2年目を迎えた昨日、

ボクは夕方より予定している

レコーディングの準備に追われる中、

自宅スタジオにて

旧知の新聞記者の方より

インタビューを受けていた。

CDアルバムの発売を目前に控えた

「魂の歌」を主な話題として

取り上げて頂く為の取材だったが、

記者の方が

以前より亡父とも面識があった為、

おのずと父の想い出にも話が及んだ。

インタビューの最中に、

父と手掛けた最後の共作

交響詩集「時の川」の中から

「白川原景」を久しぶりに聴いてみた。

何故だろうか。

曲に聞き入っている際に、

東日本大震災で津波の被害が甚大だった

地域の光景が脳裏に浮かび、

父への想いと相まみえて

不覚にも目頭が熱くなった。

 

2010年の夏頃から

父との最後の共作になるだろう、

との予感を抱きつつ、

交響詩集「時の川」の作曲に着手した。

2011年の春。

東日本大震災の直後に、

両親の郷里である熊本にて

交響詩集「時の川」の初演に立ち合い、

ステージ上で父と共に

満場の心温まる拍手を戴いた情景が、

今でも昨日の事のように想い起こされる。

 

来月16日に予定している

「魂の歌」のコンサート会場に、

もう父の姿はないが、

2011年の春には

まだこの世に生を受けていなかった

愛娘がいることだろう。

 

人生は一滴の滴が水源より大海へと流れ辿り着くように、

昨日も、今日も、明日も、そこにある、

と深く感じ入った一日となった。

 

失われた多くの命へ、合掌。

 

魂の歌

 

 

この度「魂の歌」を立ち上げました。

 

「魂の歌」とは、

東日本大震災を機に

「魂の尊さ、命の大切さ」へ向けた想いを、

音楽作品として後世に託したい、

とする音楽プロジェクトです。

昨年より約1年間の準備期間を経て、

昨日の午後に本件の立ち上げを発表するべく、

東京国際フォーラムにて記者会見を行いました。

「魂の歌」では、

志を分かち合う8人の作曲家をはじめ、

東京都交響楽団の皆さん、

作家の重松清さん、

俳優の役所広司さん、

女優の風吹ジュンさん、

ギターリストの村治佳織さん、

音楽構成作家の新井鴎子さん、

書道家の柿沼康二さん、

デザイナーの松下計さん、

写真家の山本信介さん、

アート・ディレクターの斎藤俊文さん、

キャスターの徳光和夫さん、

そして家内の松本志のぶ、

さらには御協賛、御協力を戴いている企業の方々、

制作の裏方として八面六臂の活動を

担っている多くのスタッフによる無償の輪が、

日々広がり、深まり、

「志」だけを拠り所とする原動力となって、

現在もCD発売やコンサートの実施に向けて、

関係者一同が全身全霊で取り組んでおります。

 

「魂の歌」に参画した作曲家は、

池辺晋一郎さん

渡辺俊幸さん

千住明さん

大島ミチルさん

山下康介さん

菅野祐悟さん

村松崇継さん

そして私・岩代太郎の8人となります。

日頃から映画・映像音楽と

縁の深い活動に従事している作曲家ならではの

感性や音楽性を大切にしつつ、

それぞれの個性が豊かに育まれた楽曲を、

と願いました。

現在から後世に至るまで、

数多くのオーケストラに末長く奏でて頂き、

数多くの方々にも耳を傾けて頂きたく、

オーケストラ楽曲における

芸術性と大衆性のバランスを意識し、

誰もが生まれながらにして抱く

心の琴線を潤せるように、と願いました。

いつの時代でも、どこの国でも、

8人の作曲家が一つの志を分かち合いつつ

紡いだ調べの数々を、

「魂の尊さ、命の大切さ」に

想いを寄せるきっかけとして、

皆様の心へお届け出来れば、

作曲家として至福の極みでございます。

 

CDアルバム「魂の歌」

並びにCD発売記念コンサートの詳細は、

「魂の歌」ホーム・ページにて、

是非とも御覧下さい。

http://www.b-academy.jp/special/tamauta/

 

2013年2月8日

 

 

父を語る その2

「四季折々の情景を人の一生と重ね合わせる」

四季の表情が豊かな日本では、

多くの方々が体現されている事でしょう。

 

昨年の12月初旬、

木漏れ日が心地良い昼下がりに、

自宅近くの目黒不動尊へ散策しました。

家内が仕事で不在の為、

ベビー・カーに乗る娘と

父娘水売らずのひとときとなりました。

秋に色づいていたであろう枯葉が

かすかな北風に乗り、

地を撫でるように舞い踊っている中、

心の中で

天上の父と会話を交わしていました。

晩年の父は

剣道に心身の全てを賭していました。

肺癌に侵されてから

最後の時を迎えるまで、

その生き方も、考え方も、人への接し方も、

何もかも何一つ変えることなく、

自身を全うしたかのように思われます。

それは

己と対峙する剣道の在り方に、

「死」を目前にしてなお、

己の生き様を重ね合わせていたのでしょうか。

そんな想いを父に尋ねてみましたが、

無論、返ってくる答えは

はにかんだ笑い声だけでした。

ふと視線を下ろせば、

そこには

にこやかにボクを見上げる愛娘がいました。

きっと数十年後の冬、

ボクが天に召されてから初めての師走に、

 娘も天上のボクと

心の会話を満喫することでしょう。

 

東日本大震災の折に想いました。

人間が生まれた順序通りに

天へ召されることは、

如何に多くの人々へ

安息を与えてくれるものかと。

 

娘が生まれ、父が昇天する。

命のリレーが紡ぐ情景は、

四季の物語となります。

生まれた順序通りに

輪廻される命のリレーとは、

実に人生を豊かに彩ってくれるものです。

 

また近いうちに、

父娘での散策に赴くこととします。

新年に想う

 

 

寒中お見舞い申し上げます。

 

昨春に父・浩一が他界した為、

新年の御挨拶を控えさせて頂きました。

個人的に仕事以外の繋がりがある方々には、

旧年中に喪中葉書でのお知らせを

郵送させて頂きましたが、

当方の不手際により、

喪中葉書をお届け出来なかった方々より

年賀状を頂戴してしまいました。

至らぬ御無礼を何卒お許し下さい。

 

父亡き後、

初めての年越しとなり、

年末年始は

家族で水入らずのひとときを

過ごしております。

 

娘も健やかに

満一歳の誕生日を無事に迎え、

家族一同

笑顔の絶えない日々を

過ごしております。

 

今年も多忙な一年となりそうな気配です。

皆様からの御厚情と

家族やスタッフの笑顔を

心の支えに、

悔いのない一年を

志す所存です。

昨年に引き続き、

本年もITS(イワシロ・タロウ・サウンド)

宜しくお願い申し上げます。

想い出を、ご馳走様

 

 

7月末日、

銀座の名店「ニューキャッスル」が

人知れずに暖簾を畳んだ。

かれこれ25年以上も通い続けた店だっただけに、

何とも寂しい。

辛来飯と名付けられたカレーライスは

独特な風味と後味を持つ美味だった。

その味わいに魅了されたファンは数多い。

熱烈なファンの中には著名人も多く、

お世辞にも綺麗とは言えない店内の壁面には、

彼らの写真やサインも所狭しと張り出されていた。

ボクにとっては銀座で唯一、油を売れる店であり、

打ち合わせの合間に時間を見つけては、

ふらりと立ち寄る。

大して空腹でもないのに、

ふらりと立ち寄る。

銀座に足を運んでは、

必ずやふらりと立ち寄る。

そんな居心地の良い店だった。

東京芸大に通う学生の頃から、

創業者でもある先代マスターの笑顔に

魅了されつつ舌鼓を打っていた。

その後は、

跡を継がれた二代目マスターの御夫婦と

ほのぼのとした会話を弾ませながら、

ボクの定番メニュー「ツン蒲」を

ひたすらに食べ続けてきた。

昨年には、亡き父が銀座のとあるクリニックで

肺癌治療の為の点滴治療を受ける日には

必ず立ち寄り、

2時間程の投与時間中、

御夫婦相手に油を売りながら、

心の中で

「何とか父の病状が好転しないものだろうか」

と奇跡を祈ったりもした。

そして最後の営業日にも、

この定番メニューを堪能しつつ閉店を惜しんだ。

この店の隠れメニューでもある「ツン蒲」には、

通常目玉焼きが

片目分(卵1個)トッピングされてくるのだが、

長年通い続けている内に、

先代の時も二代目の時も、

いつの間にやら両目分(卵2個)がサービスされていた。

常連には我が家のような心地良さを持って

迎え入れてくれる。

そんな人情豊かな店が、

最近の銀座からは

少しずつ少しずつ消えているようだ。

「ニューキャッスル」の味わいと温もりは、

銀座という街の片隅から

失われてはならなかったモノだったと、

懐かしむ声はいつまでもいつまでも、

知る人ぞ知る人の狭間で語り継がれることだろう。

長い間、本当にお疲れ様でした。

沢山の想い出を、ご馳走様でした。

父を語る その1

 

 

この春、

四月半ば、

日一日と容態が

悪化していく父の枕元で、

ボクは作曲作業に追われていた。

目前に

レコーディングを控え、

半日たりとも

作業を中断できぬスケジュールの中、

父の病室に泊まり込み、

五線紙を持ち込み、

ひたすらに

無数の音符を書き綴っていた。

生前の父は

誰よりもボクの仕事を

いつも気にかけていた。

にも関わらず、

レコーディングの

スケジュールが近づくにつれ、

容態が悪化していく

不条理を嘆きながら、

ボクは作曲を続けた。

ところが、

父の枕元で

作曲している内に、

手塩にかけて育てた

息子の作曲をする姿を見ながら、

父は旅立ちたいのだろう、

と思えてきた。

「父さん、

一生懸命に作曲しているから、

ちゃんと見守っていてね。」

ボクは病床に

臥せる父へ語りかけながら、

さらに筆を走らせた。

次第に呼吸の間隔が

間延びしていく。

微かに病室で響く父の呼吸音に

耳を澄ましながら、

ボクは数々の調べを

真白い五線紙の上で奏でていった。

 

今夜から、

その時に手掛けていた音楽が

NHKスペシャル

「知られざる大英博物館」にて、

21時より

NHK総合チャンネルでオン・エアされる。

 

きっと父は

人生の幕が下りるまで、

息子が書き綴っていた調べを

心の耳で聴いていたと確信している。

 

1人でも多くの方々に、

ボク達親子の

ラスト・セッションを

ご覧頂きたく存じます。

 

訃報

去る4月22日 9時24分。

父・浩一が他界致しました。

享年81歳でした。

約4年間に渡り、

肺癌の治療に励んでおりましたが、

最後は家族に見守られながら力尽き、

安らかに、穏やかに、息を引き取りました。

父が生前お世話になった全ての方々へ、

心より御礼申し上げます。

明日からは

約7日間のレコーディングを控えており、

只今は準備に追われております。

よって改めて、

仕事の方が一段落してから、

父の想い出を

少しずつ綴ってみようと思います。

まずは御報告と御礼まで。

 

父の冥福を一人でも多くの方々に

祈って頂ければ幸いです。

合掌

謹賀新年 2012

あけましておめでとうございます。

今やこのブログも

年始や誕生日のみの更新となり、

もはや自分でも呆れてしまうほどの

管理状態となってしまいました。

が、もしや万が一にも、

ホーム・ページ上でのブログ更新を

心待ちにしていらっしゃる方が

世界の何処かにいらっしゃるのならば、

心からお詫び致します。申し訳ございません。

さて、

昨年の震災を思い起こせば、

戸惑いを感じてしまうほど、

年越しを身に余る幸福に包まれながら迎え、

新年への抱負に胸を躍らせつつ初詣へと出かけました。

すでに家内のブログ上にてご報告させていただきましたが、

昨年末26日に、長女を授かりました。

産後も母子共に健やかな日々を過ごし、

大晦日に無事、退院の運びとなった次第です。

4年間に渡って肺癌の闘病中である父も、

入院先から一時帰宅を許可されるほど回復し、

年末年始は自宅で家族に囲まれながら、

新年を迎えることが叶いました。

長年に渡り仕事上のパートナーである

辣腕女性マネージャーも、

末長い幸せを育むであろう彼との新しい人生をスタートさせました。

重ねて昨年に引き続き今年も、

生き甲斐や手応えを感じる仕事に恵まれております。

という次第で、

2012年を迎えるにあたり、

ボクは身に余る幸福感を家族、

大切なスタッフや友人達と分かち合いながら、

新年を迎えることとあいなりました。

きっと今年も、

自分を支えてくれる人への想いから沸き出でる

愛情、責任感、連帯感、創作意欲が、

ボクを導いてくれることでしょう。

何卒、本年も宜しくお願い申し上げます。

1人でも多くの方々にとって、幸多き一年となりますように。

 

岩代太郎 拝

46年目の抱負

5月1日。

今年も無事に誕生日を迎えることが出来た。

3月の震災を経た今、

一層この幸せを深く感じる。

例年では、

「誕生日は産んでくれた母に感謝する日」

とするパーティーなどを催していたが、

時節柄を考慮し、

こういった集いは一切行わず、

さらには誕生日の

前後約10日間(4/245/4)が

仕事のスケジュールと重なった事情から、

連日連夜に及ぶ

レコーディング・スタジオでの

作業に追われるがまま、

深夜のスタジオで淡々と誕生日を迎えた。

母にも会えず、

甥とも戯れず、

家族とも過ごせず、

友達に囲まれることもなく、

無論、家内との抱擁もなく、

仕事三昧の誕生日となった次第である。

がしかし、

日本中が何となく元気を失っているかのように

見受けられる現状を踏まえれば、

まずはこの時期に

大掛かりな音楽制作に関われる

作曲家としての喜びを

素直に、そして謙虚に噛みしめたい。

因みに

現在レコーディング中の音楽は、

今夏に全国で劇場公開される

アニメーション映画「鋼の錬金術師・嘆きの丘(ミロス)の聖なる星」で

使用するサウンドトラックである。

この作品については、

追って改めての機会に詳しく述べることとするが、

ともあれ、

来月には関西エリアで、

人生初の自作自演によるオーケストラ・コンサートも

予定しており、

改めて46年目の抱負はと問われれば、

ただひたすらに、

目の前の仕事へ真摯に取り組みながら、

様々な仕事を通して、自らの想いを音楽に託し、

その想いが一人でも多くの方の心に

新しい調べと共に届くよう祈るばかりである。

「音楽は心ある所にある」と信じ

46年目の歳月も精一杯生き、

多くの方々と共に謳歌したいと思う。

 

「みなさんに幸あれ」

「母さん、産んでくれてありがとう」